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Voyager


これは小さな、遠い世界からのプレゼントで、われわれの音、科学、画像、音楽、考え、感じ方を表したものだ。私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いである

(ジミー・カーター)


 
 voyager
(制作年:2016.9.23-12.15 さいたまトリエンナーレ)

記憶がまるで塗りつぶされていくような気がする。新たな歩みのために必要な舗装のように、まるで何事も無かったかのように。Voyager2011 は、想いと時間のアーカイブを試みる。福島にまつわる人々の声、自然音や環境音、奏でられる音楽などの音声と、人々から募った思い出の品々。それらを世代を超えて残す可能性を探り、音をアーカイブし公開するとともに、思い出の品は福島の会津で縄文から続いてきた「漆塗」の技法で包み、実質的な品物の保護と、漆塗りという価値の付加による世代を超えての伝承を図っている。また、漆でのコーティングは放射性物質の飛散を防ぐ目的も併せ持つ。人々の声には、それら思い出の品の提供者も含まれ、福島の人であっても個々に違った出身地や立場から発せられ、また、支援者や広域避難者の声も”ふくしま”が人生に影響した一人の声として含まれている。小さな声たちは、混ざり干渉しあい、こちらから声に耳を傾ける行為なしには、聴きとることは出来ない。人々の体験、気配、時とともに変わりゆく思い、そして、5年半を経た今。会場で流れる音には2011年からの日々の片鱗が37分間に散りばめられ、ウェブサイトに音声がアーカイブされていく。一つひとつの声が、あの日、もしかしたら続いていたかもしれない日常、日々のかけがえのなさを想起させる。そして、「思い出」となった品物の、漆でコーティングされた内側に付着している放射性物質は、時を経たとき、その半減期により、いつ、何が起きたのかを知る手がかりとなる、時間のアーカイブ機能を担っている。

 

>>>> VOYAGER WEBSITE

 

 


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エデンの東


エデンの東  



Scene.1 「人間の土地」                   (映像作品 制作年:2015年)

人が住む場所には、十字架が立つ。
私たちの世界を巡らせている柱と線はまるで血管のようだ。
業とともに血はめぐる。
人間の土地の始まりに十字架が立ち始めた時、
人々は何を背負い、どこに向かって歩きはじめたのだろう。


Scene.2 「ロトの妻」                   (素材:塩 制作年:2015年)

「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。
低地にはどこにも立ち止まってはならない。山に逃れなさい。
そうしなければ、あなたは滅びます。」
しかしロトの妻はうしろを振り返り、塩の柱になった。

旧約聖書「創世記」に登場する都市ソドムの物語。
人々の悪徳に対する審判として神の火に焼かれ滅びたソドム
(天体衝突や核爆発という説も)。
神はソドムに住む善人ロトとその妻と二人の娘だけは助けようと、
彼らを救うべく天使を送り込み忠告をする。
「一刻も早く町の外に脱出し、低地に留まらず山中に逃れよ、決して後ろを振り返るな」と。
しかしその忠告にも関わらず、ロトの妻は逃げる途中に後ろを振り返り、
塩の柱に変わり果てて死んでしまう。

ロトの妻は、なぜ、後ろを振り返ったのか?

この話は、宗教的タブー、愚かさ、弱さ、信心への戒めとして語られることが多い。
しかしそうだろうか。 彼女は、留まることを、ソドムの人々とともに最後まであることを
みずから選んだのではないか。

「塩」という言葉から浮かび上がる「犧」や「清め」としての姿。
そして、「塩」無しには私たちは生きられない。



Scene.3 「深遠なる庭園にて」           (素材:枯れ草・糸 制作年:2014年)

踏んでも気づきさえしないようなところにも、命の世界がある。
それらと私たちは繋がっているし、よく似ている。
生まれ死にゆく、めぐり。
この建物もまた、延々と織り重ねられたいのちの上に建っている。
いずれはこの建物も朽ちゆき、 新たに生まれるいのちに、覆われゆく

エデンの東
photo : Ryoji Shirado
2015.10.24-11.27(玄玄天)






深遠なる庭園にて 

深遠なる庭園にて

踏んでも気づきさえしないようなところにも、
命の世界がある。
それらと私たちは繋がっているし、
そしてよく似ている。

深遠なる庭園にて

深遠なる庭園にて
photo : Kuniaki Murao
2014.8.23-9.21(玄玄天)2014. 11.1-11.9(生野ルートダルジャン)





霧花
2011年の大地タトゥー
(地面に祈り紋様を彫り、血の色に染めたお米を流し込む)

汚染された食べ物などが土を掘って地中に廃棄され、
校庭や公園の表土を削り取るその行為は、
人間の生への強い衝動を孕む。
痛みと絶望の最中に生きる命の
それは刺青のようにも見えた。
大地の皮膚でそれを受けとめ、
深くに抱く。


2012.10.20-11.28(西宮船坂ビエンナーレ)





「ふねやまにのぼる」
岸井大輔×トチアキタイヨウ×藤城光 
2012.10.19-11.24 西宮船坂ビエンナーレ参加作品


劇作家岸井大輔×ダンスのトチアキタイヨウ×藤城光の3人の出会いから生まれた作品。阪神淡路大震災の被災地でもある西宮と東日本大震災の記憶を重ね、人が生きていくことや、様々な変化(コミュニティーの混在、放射能といった異物)とともにある現在と、異物との共生形とも言えるえびす信仰をそこに重ねていく。西宮の海岸で拾った漂流物をふねの形に造型し、西宮えびす神社でお祓いを受け、神輿のように担ぎ、一週間かけて歩いてみんなで山へと運んでゆく。西宮浜>御前浜>西宮えびす神社>>西街道>門戸厄神>武庫川>宝塚>大多田川>蓬莱峡>を経て、船坂のビエンナーレ会場に至った。

ふね、やまにのぼる
ふね、やまにのぼる→ http://funeyama.info/
twitter→https://twitter.com/fune_yama










「記憶の渚」
 (2012.4.13-15 Arts Chiyoda 3331)
震災前に採取していた福島の海岸の砂を使用。
壁に描いた砂の固まりを訪れた人が削り取り、消えていく作品。

霧花

※CLICK 画像をクリックするとご覧いただけます。 ↑ 

 

 

 

 

 









不可分に矛盾に満ち輪郭が意味を為さなくなるその瞬間、
そのもののざわめき湧く微視的感触を纏う。





「ぬけあい」 
spiral
※CLICK 画像をクリックするとご覧いただけます。 ↑ 


境界が存在を存在たらしめ、存在は土の中でその境界をぬけ、あう。

※これらの作品は、下地や描く素材に"土"を用いた。
作品そのものも、私たちの体も、いずれ朽ち、土に還る。
そして、土に育まれて成長する私たちは、土の一部とも言える。

個展「nukeai」
2010年9月3日(金) ~ 2010年9月14日(火) ROCKET









 
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2003 tokyo wonder site
[2.5D]
 

[2.5D] … 半立体の作品。作品の中に自然光を採光し、時、視界をずらす。






star fish